奨学金を完済しました。

日本育英会の奨学金を借りていました。その額700万円(学部200万+大学院500万)。20年かけてやっと完済しました。これまで、些細なことでも助けてくれた皆様に感謝しております。

実は奨学金を返済していることにとても恥ずかしさを感じていました。マイナスから始まる人生の恥ずかしさが常につきまといました。大学進学を考えていた高校生の頃、大学は東京に出ようと思っていました。しかし、わが家は貧しかった。母親に言われた「東京はお金がかかるからダメ」という言葉。親孝行しようと思って、東京の大学は諦め、寮も完備でコストのかからない筑波大を選択しました。もちろん、私大は入学金の事前納付ができないので受けず、国立大の前期日程、後期日程だけで、ミスれば就職という状況でした。当時は1/3しか大学に入れないというベビーブーム時代で、我ながら良く受かったと思う。いまだったらこんな危ない橋は渡らないと思う。自分の力で大学生活を送るために奨学金を借りることをためらわず選択しました。とても良い支援制度だと思いました。当時のつくばは田舎すぎて取り合いになるほどしかないバイトもなんとか見つけてやりました。この奨学金のおかげで博士課程まで進むことも決心できました。しかし、博士の学位をとれるかどうか不安の中、借金が膨らむ恐怖と戦いました。博士号は靴下についた米粒。取るに取れない、取っても食えない、と言われ、常に不安がまとわりつきました。僕らの時代の奨学金は貸与とはいえ、3年以内に大学教員になった場合は全額免除、早く返せば1割免除、といったキャンペーンが付いていました。しかし、大学ポストは狭き門、いきなり社会に出る若造に早期返還なんて難しいのが現実でした。さらに、日本は就職氷河期。700万円の借用金額の連絡が来たときには本当に絶望でした。そんな大学時代は今思えば、かなり母に反発したと思います。どうしてお金でこんな気苦労をこどもにさせるのか、と。もう少し裕福だったら・・・と何度も考え、お金に困らない友人を妬みました。お金にもう少し困らず東京に出られていたら。。。。そんな母は今年、天に召されました。もちろん母には完済の報告はできませんでした。それでも、影ながら、我が子がいつまでも学問の道から外れずに学生を続けていることに不安を抱えていたのだろうと思います。お母さん、心配かけてごめんなさい、見守ってくれてありがとう、といまでも強く思います。研究に明け暮れ、正月も帰らない我が子を自慢していたことを母の友人から葬儀で聞いて、なんだか嬉しくなりました。こどもには面と向かって褒めないのに。少しは親孝行できたかな。毎月3−4万円の返済は大変だったけれども、大学時代に自分に投資できる自由なお金があったことは、貧しかったけれど幸せだったと思います。両親も経済的不安が緩和され、いくばくか充実した生活ができたかな、と思います。いまの学生たちに言いたい。若いうちの愚かな選択は、お金がないから、という理由で諦めることだと思います。お金なんてなんとかなる。やりたい夢や希望を持ち続ければ、金銭的な困難はなんとかなる。そう信じること。今は奨学金は貸与が常識の社会になっているけど、日本を背負って立つ次の人材が、お金の有無でその才能が無駄にならない社会になるといいな、と切に思います。